徳島地方裁判所 昭和36年(行)8号 判決 1963年12月02日
徳島県板野郡松茂町広島
原告
橋本裕子
右訴訟代理人弁護士
三木仙太郎
同県鳴門市撫養町
被告
鳴門税務署長
右
指定代理人 村重慶一
同
三原正
同
奥村富士雄
右当事者間の昭和三六年(行)第八号行政処分無効確認事件について当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は「被告が原告に対し、昭和三四年度分贈与税として昭和三五年五月二〇日付でなした金四四万一、五二〇円の課税決定は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因として次のとおり述べた。
一、原告は昭和三四年、さきに祖父の橋本常助から遺贈を受けた株式を売買してえた金員を資金として、訴外堀江安一から同人所有の徳島市幸町三丁目二八番地宅地一三六坪五合九勺(以下これを本件宅地という。)を代金一一〇万円で買受けてその所有権を取得した。ところが被告は、原告が本件宅地を取得したのは右に述べたような売買によるものではなくて父の橋本勲から贈与を受けたものであり、従つて原告は昭和三四年度分贈与税として金四四万一、五二〇円(本件宅地の財産価格金一八〇万三、八〇七円から金二〇万円の基礎控除をなした課税価格金一六〇万三、八〇七円に対する算出税額)を納付しなければならない、との決定を昭和三五年五月二〇日付でなし、これを原告に同年同月二三日ごろ送付してきた。
二、そこで、原告は右決定に対し右に述べた取得過程を明らかにして被告に再調査の請求をなしたが認められず、棄却の決定を受けた。そこで、さらに調査の請求をなしたが、これも理由なしとして棄却された。しかし、本件贈与税の決定は前記一に明らかにしたとおり売買によつて取得した者に対し贈与を受けた者だとして課税してきたものであつて、これはまさに重大かつ明白なかしある行政処分にあたるから、右行政処分は無効である。
そこで、本訴請求におよんだ。
被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因事実中、被告が原告に対し本件宅地は原告が父から贈与を受けたものであると認定して原告主張のとおり贈与税決定をなしたこと、右決定に対し原告から被告に再調査の請求がなされ、これが理由なしとして棄却せられたことは認めるが、その余の事実は争う、として次のとおり述べた。
一、本件宅地はもと堀江安一の所有であつたが、原告が昭和三四年二月二日同人から買受けたとして同年三月二日付で所有権移転登記がなされた。
二、しかし、右売買について調査したところ、当時二〇歳であつた原告は父橋本勲と同居し、右勲が代表者である若松建築商事株式会社に事務員として勤務し毎月三、〇〇〇円程度の収入があるほかは他に本件宅地取得のための資金を有せず、しかも本件宅地の売買契約は全て橋本勲・堀江安一間で行われ、原告は全然これに関与しておらず、売買代金の決済もさきに橋本勲が堀江安一に貸付けていた金一〇〇万円程度の貸金債権をもつてあて残代金の支払は右勲が百十四銀行徳島支店から自己名義で金借した金員をもつてこれにあてた、という事実が判明した。
三、被告は、右事実に基き、本件宅地は橋本勲が堀江安一から買受けて取得したうえ原告に贈与したものと認めて原告に贈与税申告書の提出を促したが、原告がこれを提出しないため相続税法第三五条第二項により原告主張の贈与税決定をしてその主張のとおり原告に対して通知した。
四、原告は、右決定に対し、同年六月二一日、本件宅地の所有名義人は自己になつているが真実の所有者は橋本勲であるから取消されたい、との理由をもつて再調査の請求をなしてきた。しかし、右理由は認められなかつたため昭和三五年九月一二日右請求を棄却する決定をなして、そのころこれを原告に通知した。右棄却決定に対してはその後原告から適法な審査の請求がなく、従つて本件贈与税決定は確定するに至つたものである。
五、以上述べてきたところから明らかなとおり、本件贈与税決定は理由あるものであるのみならず、既に確定している適法かつ有効なものであつて、そこには無効をきたすような重大かつ明白なかしは全く存せず、万一なんらかのかしありとしてもそれは取消原因たるべきものにすぎない。
よつて、原告の本訴請求は失当として棄却せられるべきものである。
立証として、原告訴訟代理人は、甲第一ないし三号証を提出し、証人橋本勲・橋本隆雄・西岡文一の各証言を援用し、乙第一ないし三、第七、第八号証の一ないし四、第一〇号証の各成立および第四号証中の末尾の年月日記載部分と橋本勲の署名部分の成立を各認める、その余は不知と述べ、被告指定代理人は、乙第一ないし七、第八号証の一ないし四、第九、第一〇号証を提出し、証人堀江安一・伊賀宏の各証言を援用し、甲号各証の成を認めると述べた。
理由
被告は原告に対し、本件宅地は原告が昭和三四年中に父橋本勲から贈与を受けたものであるとして、同年度分贈与税の賦課決定をなしたことおよび右決定に対し原告から被告に再調査の請求がなされたところ、理由なしとして棄却されたことは当事者間に争がなく右贈与税決定がその後碓定したものであることは原告の明らかに争わないところである。
一、そこで、原告主張の請求原因事実について検討する。
原告は、本件宅地は昭和三四年中にもと所有者堀江安一から金一一〇万円で買受けてその所有権を取得し、右代金は原告がさきに祖父の橋本常助から遺贈を受けた株式を売買して利殖してきた金員をもつて支払を遂げたものであると主張し、右趣旨にそう証拠としては、証人橋本勲・橋本隆雄・西岡文一の各証言と原告が本件宅地を売買によつて取得したことを証する不動産売渡証書(甲第三号証)とが存在し、また、登記簿上原告が堀江安一から買受けて取得したものとなされていることは被告の認めるところである。
しかし、右にあげた原告の主張にそう証拠はいずれも次に明らかにするような理由によつて措信することができない。
1 証人橋本勲・橋本隆雄の証言について
右証人らはいずれも原告が買受けて取得したものであると主張はするが、ただ原告が買受けたものであるとの結論を維持するに窮々とするのみで肝心のその結論を支持するための内容たるや極めてあいまいであつて真実性に乏しいばかりなく、他の証拠と比照して信をおけないこと以下にみるとおりである。
(一) 本件宅地の売買契約締結の当事者に関する点について
橋本勲は右に関しなるほど契約の締結自体については専ら自己が引受けてこれをなした。しかし、原告が買主であることは、予め原告と代金の支払方法について相談もしており、従つて同人もよく知つているところであると供述する。
しかしながら、右供述は、(イ)原告が贈与税決定に対する再調査請求をなすにあたつて被告に対し提出した「贈与税御決定に対し異議申立書」と題する書面(以下異議申立書と略称する。)(乙第三号証)および橋本勲本人の署名のあることによつて真正なものと推定される同人の「口述書」と題する書面(乙第四号証)の、いずれにおいても、本件宅地は橋本勲が堀江安一から買受けたものであつて原告は全く関知しないところである旨の明白な記載を同人ら自身がなしている事実と、(ロ)次の(二)において明らかにするとおり橋本勲が原告と右代金の支払方法について相談したという事実の認めがたいこととに徴するとき、到底これを信用することができない。
もつとも、右乙第三号証の異議申立書について、橋本勲は「同書面は自己が事案のこう概を、自己の経営する若松建設商事株式会社の庶務係西岡文一に話して、同人に作成させたものであるところ、同人は贈与税決定が不当あるとの詰論のみを念頭に強く刻み、その基本となる実情のは握に欠けたため事実に反する内容記載の書面を作成してしまつたのである。しかも、折あしく、自己は出張等のことがあつて右書面に目をとおすことができず、そのため右書面がそのまま被告に提出されるに至つたものである。」と供述し、証人西岡文一また右趣旨にそう証言をする。
しかしながら、税の賦課決定に対し、賦課されるべきいわれがないとしてその理由を明示して提出する不服申立書(乙第号証がこれにあたる。)は、じ後右申立に対する決定がなされるについての調査の指標を与えるものであり、従つてその提出にあたつては検討のうえにも検討して誤のないよう期したうえ提出されるべき性質のものであることはいうまでもなく、まして企業経営者しかも金融事業の橋本勲がその供述するようなおろそかな態度でのぞむことなどありうべくもないところであり、このことはまた既に述べたとおり同人の供述書と認められる「口述書」(乙第四号証)において自身誤りであるとする右異議申立書(乙第三号証)の内容と全く同趣旨のことを述べている事実からもうかがえるのである。
以上のような事実関係に徴するとき、同人の、右異議申立書(乙第三号証)に目をとおさなかつたため事実に反する内容のものとなつた、との供述は信用できないこと明らかである。
(二) 代金の支払方法に関する点について、橋本勲と橋本隆雄は、いずれも「代金一一〇万円のうち金五〇万円を当時橋本勲が堀江安一に貸付けていた金員で支払い、残代金六〇万円を原告および原告の兄の橋本隆雄がいずれも同人らの祖父の橋本常助から遺贈を受けてえた株式を換金化して支払つた。なお、右換金化しての支払は以前から同人らのため右株式を保管していた同人らの父の右勲が万事処理した。そして、右のようにして支払うことについては右勲が原告および隆雄と相談のうえなした」というのである。ところが一方、右原告ら両名の出資の割合については「とくに定めなかつたためわからない」というかと思うと、隆雄はまた「本件宅地は原告のものときめたためその後自己の出資分は父の勲が回収措置をとつてくれた、ただその金額のほどは知らない」というのである。
しかし前記のように、出資の割合を確定できない状態のもとで回収措置できる道理がないし、さらにそもそもいかに兄妹間のこととはいえ、多額の資金を融通するのにその額も明確にしないまま事を運ぶなどいうことは特別の事情でもない限り余りにも異例のことに属し経験則にも反するところといえよう。しかも本件においては右特別事情と目しうるものは全然存在しない。
また、株券を処分して資金を調達したというものの、その株券を保管し処分したはずの橋本勲すらそれがどのような株券であつたかをつまびらかになしえないというのである。
以上明らかにしてきた諸事実を徴すれば、右橋本勲および橋本隆雄の供述がいずれも信用できないことは明らかである。
2 証人西岡文一の証言について
同人の証言については、同人が橋本勲が代表取締役である若松建設商事株式会社に勤務し、かつ、右橋本からさきに問題として取上げてきた異議申立書(乙第三号証)の作成および提出を命ぜられたという特殊な身分関係にあることと、橋本勲、同隆雄の証言が信用しがたいことの説示のため、右1において明らかにしてきた諸事実とを合せ考えるとき、到底これを信用することはできない。
3 不動産売渡証書(甲第三号証)について、本売渡証書によると本件宅地は原告・堀江安一間において売買がなされたことになつている。
しかし、これについては、証人堀江安一の証言によつて、売買契約にあたつた同人の相手方は終始橋本勲であつたところ、右売渡証書を作成するにあたつて、右橋本から「買受人の名前がはつきりしないから買受人の氏名を書かずにあけておいて貰いたい」との申出があつたため右堀江は買受人の氏名欄を空白のままにしておいた事実が認められる。(後日その空白欄に原告名を書入れたことは後記のとおりである。)
従つて、右売渡証書は原告が直接右堀江から本件宅地を買受けたとの証拠にはならない。
二、以上1ないし3においてみてきたところから原告の主張にそう証拠はいずれも信用しがたいことが明らかであり、他に原告が右堀江から本宅件地を買受けて取得した、との事実を認める証拠はない。かえつて、証人橋本勲・橋本隆雄(以上の証人の証言中前記および後記措信しない部分を除く。)・堀江安一・伊賀宏の各証言とその方式および趣旨に徴して公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定される乙第五、六号証(いづれも堀江安一の大蔵事務官に対する質問応答書)と前記一においてみてきた諸事実とを総合すれば、次の事実が認められる。
原告の父橋本勲は前記認定の時期に同金額で訴外堀江安一から本件宅地を買受けたのであるが、これを原告名義にするため右堀江から手渡された前記売渡証書の空白の買受人欄に原告名を記入し、これを利用して原告が直接右堀江よりこれを買受けたものとして登記したのである。
ところで右事実どおりとすれば、これは訴外堀江安一より橋本勲に、そして同人より原告に順次なさなければならない登記を結局中間登記を省略して右堀江安一より直接原告になされたものであるといわざるをえないし、その事実は他に特段の事由のない限り右勲より原告に所有権が移転したものとみざるをえないところ原告側において右勲より原告にその所有権が移転しない特段の事由の主張ならびに立証がない(原告になされた登記が仮装のものとの主張も立証もない。この点にふれる乙第二、三号証は事実および訴外勲の意思に反して西岡文一が不用意に記載したものだと同人らは証言する。)、それのみか、本件は右勲より原告への所有権移転につき対価関係の存することを認めるに足る証拠もない。そうだとすれば、右の所有権の移転は無償、すなわち贈与によるものと認めざるをえないのであつて、他にこれを根拠に賦課した本件課税決定を無効とするものがない。
三、従つて、原告の本件請求はその理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用について民事訴訟法第九五条・八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 依田六郎 裁判官 小川正澄 裁判官 和田功)